2017年8月21日 (月)

「まどろみの時」

 一週間が本当にはやい。週末を早く迎えるために月曜日は存在する…みたいな感じである。仕事とはいっても、年から年中、緊張しっぱなしという訳にもいかない。時には、ラジオで憩いのひと時が欲しい。私には最近の若い人たちの話し方はやや早い。別のいい方をするとせわしない。その現象はラジオであろうとTVであろうと同じであって、必然的に自分の波長に合うメディアを選択することになる。それで、FMを楽しむ機会が増えた。過日、映画音楽特集プログラムを聴いた。

 

 戦後長い間、日本で公開される外国映画の主流は米国映画であった。彼らが得意なジャンルの一つがミュージカル映画である。必然的にその種の映画を観る機会が多かった。ただし、熱狂的なファンという訳ではい。本数は結構観ているのだが、リバイバル上映されている作品も多く、頭の中では最初の劇場公開なのかそれともリバイバル上映なのかの記憶がごっちゃである。

 1965年に日本で公開された「サウンド・オブ・ミュージック」は優れた作品だけれど、もともとは舞台で公開されたミュージカル作品だ。そう考えると、「南太平洋」も「王様と私」もオリジナルは舞台上演作品なので、優れている作品はどちらでもオールマイティ―なのだと理解した。「サウンド・オブ・ミュージック」が印象深い理由の一つは作品内容の面白さもあるけれど、やはり、作曲リチャード・ロジャーズ&作詞オスカー・ハマー・スタイン2世の力量に負うところも大きい。「王様と私」(日本公開1956年)と「南太平洋」(同1959年)も彼らの作品だが、3作品も映画史にその名を残す出来栄えである。私は1952年生まれなので年齢的にいえば、4歳と7歳の時である。記憶の中では、どちらの作品もストーリーと印象的な場面をはっきりと覚えている。おそらくリバイバル上映時の記憶に違いない。

 

 170821 作詞を担ったオスカー・ハマー・スタイン2世は、映画版「サウンド・オブ・ミュージック」を観ることなく1960年に世を去った。コンビだった作曲家リチャード・ロジャーズは、1963年に日本で公開された名作「アラビアのロレンス」の作曲を当初依頼されていた。が、制作者の要望にそうことができなかったと伝えられる。結局、あの壮大で有名な音楽は、フランス人作曲家モーリス・ジャールの手によって後世に名を残すことになった。歴史の皮肉というべきか。「たかが映画」という人もいるけれど、私ははやり映画が好きである。

2017年8月17日 (木)

「昔の味」

 今日は家人が朝早めに出勤した。勤め先の近隣に朝市があり、そこに寄りたいという。私の母がこのところ体調がイマイチなのでマツタケご飯をつくって食べてもらえたらうれしい…と考えたらしい。幸いうまそうな食材があり、スグレモノのマツタケご飯ができた。

 

 朝市では、ぬか漬けも定番になっているらしい。私の好きな食べ物の一つだけれど、塩分控えめ生活の関係で食卓に登場する機会が激減した。家人がマツタケの友(?!) として買ってきた。

 見たところ、なかなかユニークな組み合わせである。大根、キュウリ、パプリカそして紫玉ねぎだ。ん? 大根、キュウリ、白菜、ナスそしてニンジン等の組み合わせがフツである。食べなれた方から箸をつけた。大根は、味がきちんとしみていてよろしい。古漬けの鏡のような出来栄えである。キュウリは×、理由は簡単である。味がキュウリ全体に均等にしみていないのだ。かつ古漬けでもなく浅漬けでもないという半端な味付けである。私の舌がへんてこになってしまったか? そこで家人に聞いたところ同じ意見である。ぬか漬けを自分で仕込んだことがないので詳しくはわからないが、よくかき混ぜなかったのではないだろか? 一本のキュウリが切った部分々によって味が違うというのは、実にビミョーな感じである。キュウリのところで挫折した。パプリカと紫玉ねぎは、いまだに冷蔵庫の中で在庫になっている。彼らの顔を立てるためには食べてあげないといけないのだが

以前、流通企業に勤めていた時に何社か製造工場や現場を視察に訪れたことがある。その中には、著名な地元の漬物企業も含まれていた。県内の多くの企業で小売りするためには物量をこなさなければならない。大きな樽がいくつもあった。ぬか漬けを食べながらそんなことを思い出した。

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 漬物といえば苦い思い出がある。流通企業に勤めていた時、県南地区のI市に3年ほどいた。冬、特に12月になると白菜を自前で漬けて食す。その時塩をたくさん使うのが常道である。塩が猛烈に売れる。塩の発注も担当していたのでかなり多めに頼み在庫を持ったのだが、年が明け1月になったとたん消費が止まった。お店で働く女性に聞いたところ、昔からの習慣だという。つまり(産地ということもあり) 12月は白菜が安い。そこで12月に大量に白菜の漬物を仕込む。年を越せばあとは食べるだけになるのだ。なるほど、物事には何でも理由があるのだ。社会に学ばねばならぬ。勉強させていただきました。

2017年8月15日 (火)

「話題」

ある有名な歌舞伎役者の女性問題が週刊誌でスクープされて以来、TVのワイドショー等ではひっきりなしにその話題をとりあげている。本人の記者会見やら元芸能人の夫人のマスコミを通じた謝罪などまことにかまびすしい。私の感覚では、例えば傷害事件等を引き起こす云々であれば別だけれど、なぜ一個人のプライベートな問題でこんなに大騒ぎになるのかがよく理解できない。もっと大事なことが世の中にはありそうだ…という感じである。

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 歴史的には、わが国で週刊誌がスタートしたのは1950年代後半ということらしいが、社会に定着したのは1960年代になってからだ。我が家ではなぜか週刊Gと週刊Pを父は定期購読していた。近所の本屋さんが最新版を配達してくれた。今の時代では雑誌の種類も格段に増えたしメディアの種類も全然異なるのでわかりにくいけれど、2誌は時代を先取りしている感じであった。 

当時、小学校高学年から中学・高校生くらいだった私にとっては、掲載されている記事の内容はなかなか興味深かった。つまり、世の中を教えてくれるある種の先生みたいな役割を果たしていた。一般週刊誌のお色気ページは最近かなり控えめな印象を受けるけれど、当時の週刊誌の中にはそれがウリ…みたいにしているところもあった。子供の私とてG誌とP誌をめくればそれが当然目に入る。それも一種(?!) の社会勉強なのだといえないこともない。

 不思議といえば不思議だが、私には父が2誌を家族のいるところで読んでいる姿を記憶していない。週刊誌のタイプからして母が読むとは思えないので、今でも不思議な思い出である。対照的に時々くつろいでいる時に目を通していたのが映画専門誌Sである。これは当時日本で発行されていた映画専門誌の中で最も発行部数が多かった。グラビアや面白い記事が満載である。一番人気であった最大の理由は外国映画に強かったからだ。今と違い海外に出るのは「遠い所に行く」という感覚の時代である。S誌には実に多くの外国の女優が登場したが、なんとも魅力的に見えた。( 今よりも、日本と諸外国では体格差が激しかった。) 当時グラビアに登場していたキレイどころも今ではほとんど亡くなるか引退してしまった。 

個人的な意見をいえば、(日本or諸外国に関係なく)昔の女優の方が魅力的に見えた。「影」の部分というかどこか「りん」とした感じが垣間見えたのだ。時代がその人の人物像に反映される…というとやや大げさだが、あながち関係がゼロだったとも思えない。

昔の映画を見る時にはそうした感じ方をするのもまた面白いかもしれない。自分が生きてきた歴史とダブル部分もまたあるかも知れない。

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