2017年5月22日 (月)

「検査もまた楽し⁉」

 誰しも自分の健康には関心がある。老若男女、1億2千万人総健康関心時代といってもよさそうだ。私もその一人だけれど、ここ数年、年に1回程度の割合で胃カメラか内視鏡の検査を受けている。検査マニアという訳ではなく、たまたまそうなっている。

 先日受けた胃カメラ検査では、鮮明な画像をもとにドクターが説明をしてくれた。自分の胃の中を見ることはそう頻繁にあることではないので、神経を集中して聞いた。特に問題はなかったが、ピロリ菌の検査をすることになった。何でも、最近の医学では胃がんを発症する可能性がある菌といわれているらしい。日をおいて結果を尋ねに行ったところ保菌しているという。「お友達」ではないので、退治することにした。

 看護師さんと薬剤師の双方から薬の処方と注意点を聞いた。薬を飲む期間は一週間。その間は当然ノーアルコールである。ついでといっては何だけれど、その前後も自主的に「断酒期間」にしよう。だって、体を清め(?) る絶好の機会だもの…。結構、ピロリ菌退治をしている人はいるらしい。家人の話では、お友達の一人は除菌し損なったという。タフな奴だった? 私の場合はどうだろうか? ご主人に似て(!?) 軟弱であることを期待したい。

 

 そんなある日、自宅で調度品の角に左足小指をしこたまぶつけた。「ツッ!」痛みで息がとまった。このところ、いろいろと考え事をしながら動くことが多い。器用なふりをした天罰である。2日―3日しても紫色に変わった皮膚の痛みは引かず、爪も歪んで見える。裸足だとしびれが伝わる感じである。ひょう疽(そ)にでもなったかと案じたけれど、1週間ほどしてノーマルな状態に戻った。

 考えてみれば、この程度のけがは子供時分にはよくやっていた。中学の時、野球の練習中に左腕をひどく捻挫した。雨上がりのグラウンドで滑った拍子にとっさに左腕をついたのが原因である。ドクターのところに行くと、筋がのびているという。「ちょっともとに戻そうか」といって肘を曲げられた。「ツッ!」今にして思えば、この程度の捻挫はランクでいえば「幕下」である。もし、骨折であったならば…と思うと今でも背筋が寒くなる。

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 よくいわれることだけれど、「痛みを感じるのは生きている証拠だ。」 なるほど、そのとおりである。生きている間には人間はいろいろな痛みを味わうけれど、それでも歯を食いしばって生きていく。何とかして乗り超えていく。そこが機械と人間の違うところである。

2017年5月15日 (月)

「それにしても…」

 「予期せぬできごと」は街中であろうと山野に囲まれたところであろうと起きる確率は同じような感じもするが、果たしてどんなものだろうか? 例えば、オフの日にどこかに遊びに行くとすれば、ある程度は予測を立てて行動する。

意識のどこかで時間を有効に利用しようと考えるのは、決して不自然なことではない。現代人はそれほど忙しいような気もする。

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 先日、山の中で釣りを楽しみ車に戻ってきたところ、道路っ端で二人の警官が乗ったパトロール・カーと遭遇した。突然のことで戸惑った。なにせクマやカモシカかいないような山奥なのである。

 歳のころ40歳代の警官  「どうですか?

           私  「下流の方は土石でダメでしょう。

このあたりはまだいいけど…。」

会話がややちぐはぐであるが、若干の説明がいる。2-3週間ほど前にかなり強力な台風が続けて来襲し、県内は地域によっては甚大な被害を受けた。この日警官と会った場所はそうした地域のかなり上流域なのだが、やはり影響を受けていた。つまり、「どうですか?」という質問は2つの意味に解釈ができる。

「かなり自然が荒れているのでは?」という意味あるいは「魚が釣れましたか?」…である。私が何か悪事を企んでいれば冷や汗をかいたかも知れないが、特段なにもない。たわいのない会話が終わり、パトロール・カーは走り去った。

 

 職業は違うけれど、自然深いという意味ではその日と同じくらい(味わいのある?) 山の中でバイクに乗った郵便配達人と出会ったことがある。走ってきた里の方には若干の人家があるけれどそこが配達先ではなかったらしい。これから向かう山の奥には人家はまったくない。話を聞くと、山一つ向う側にある地域の地名である。つまり、配達人は地域事情に不案内だったのだ。

  私  「この先から峠越えして抜けられるけれど、結構な距離ですよ。」

 配達人 「何分くらいで抜けられますか?

  私  「30分はみた方がよいのでは…。」

配達人は仕事熱心なのであった。夕日が落ちかかっているにもかかわらず、砂利道を目的地に向かって走り去っていった。( 余談だけれど、山間部にはどうしてこんな山奥に…といったところにポツンと孤立して存在している人家が結構ある。) 街並みのあるところだけが人間社会ではない。本当にいろいろな環境の中で人間はたくましく生きている。

2017年5月11日 (木)

「水先案内人」

 映画を鑑賞に行った場合の「お約束」の一つが、パンフレットの購入である。普通は鑑賞後に…となるが、私の場合には観る前に購入して「目通し」をする。

家人は、以前から不思議なことをするヒトだと思っていたらしい。「前もってストーリを知ってしまったら面白さが半減するじゃないの?」彼女の理解にやや誤解がある。私とてストーリーを先読みするような愚はおかさない。関心は、プロデューサーをはじめ、映画を製作したスタッフやなぜ今この映画をつくったのか? etc. 作品の背景のところにある。別のいい方をすれば、(その作品のジャンルもあるので一概にはいえないが) 映像やセリフだけではわからない部分も知りながら作品を鑑賞したいということになる。

 

 公開される作品数が多いという理由で、洋画を鑑賞する時は米国、特にハリウッドの大手制作会社ものに触れる頻度が高い。議論はいろいろあるけれど、エンターテインメントに関していえば、やはり米国は非常にこなれている。平たくいえば「おもしろい」。長年の映画ファンとしては日本映画も応援している

けれど、少なくとも私の年代が鑑賞したいと思う作品は皆無である。映画館に足を運んでみたいと思わせるような内容のものがほとんど見当たらない。今年はまだ邦画を一度も観ていない。

 

 マスコミなどで盛んにとりあげられたけれど、世界的に有名な事故の一つが2009年1月15日にニューヨークのハドソン川で起きた旅客機着水事件である。「ハドソン川の奇跡」として流布されている飛行機事故だけれど、映画化され近日中に劇場公開される。今から胸ワクワクである。グッド・タイミングというべきか、先日巷の書店に立ち寄ったところ、当該機の機長が書いた原作が目についた。こういう組み合わせは理屈抜きに活用すべきである。早速購入し、自宅で眠りにつく前の「至福の読書タイム」としている。

 170511 多くの物事はたいていそうだけれど、表面的にわかる部分とそうでない部分がある。ハドソン川の旅客機着水事件は実際に起きた事故であり、その当事者が書いた原作と映画化されている作品との間にどのような違いがあるのか…にとても関心がある。監督のクリント・イーストウッドは、今や世界を代表する

凄腕監督である。主演がトム・ハンクスということになれば映画を見逃す手はない。あわせて155人いた乗客乗員は九死に一生を得たけれど、今、どんな気持ちで当時のことを思い出しているのだろうか? 自分の生涯で期せずしてこうした経験をした人は、多分、人生観が変わるに違いない。

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