2017年6月15日 (木)

「若葉の頃」

 170615 通勤途中では高校生が学校に向かう風景によく出会う。年齢でいえば、16歳から18歳というところである。いいふるされた表現を使えば、「(人間的な) 若葉の頃」という訳である。今朝、並列してチャリンコに乗っていた女の子二人組がいたけれど、昔、自分が高校生だった頃によく注意されたことを思い出した。「その乗り方はあぶないぞ!!」自分が車を運転するようになって、はじめてその意味が理解できた。

 

 自分が通っていた高校は、大学進学を目指す子供が多い俗にいう「受験校」だった。当然、生徒たちは自分の志望大学を目指して勉強するが、その意味では、私は大学受験の厳しさをよくわかっていたとはいえない。

 3年間の高校生活の中で、何人か思い出深い先生がいる。H先生は国語と古文を教えていた。ある時、授業に遅れてしまった。ペナルティーが待っている。授業中、水の入ったバケツを両腕に抱えたまま廊下に立たされた。筋肉が少しはついたかも知れない。英語の文法・K先生は、ニックネームを「黒マント」といった。化学の先生であれば「白マント」だが、なぜか黒マントが似合うのだ。英語を理解する基本は文法である。それに気が付いたのは、ずっと後のことである。化学といえばT先生を思い出す。私たちの学年は、開校以来最悪のできだったらしい。見かねたか、「夏休みにこの問題集を全部こなしたら、少なくとも赤点にはしない」といった。それで、セーフとなった。特筆すべきは生物のO先生である。2年生の期末試験に某有名大学の入試問題を出した。解ける生徒の方が少ない。あえなく追試組の仲間入りをしてしまった。

 最近になるが、実弟の2番目の息子さんが同じ高校で勉強した。私が学んでいたのははるかに昔なので比較は難しいが、ガチガチの受験体制だったらしい。

勉強、勉強また勉強…といったところか。幸い志望校の一つに現役で合格したけれど、受験時に苦労した薬が効いて今はマジメな大学生である。

 

 少子化の影響でクラス数を減らすところも増えてきた。私の母校も近い将来ひと学級削減になる。( それでもなお、私が学んでいた世代よりもクラス数は多い。) クラス数が減れば先生たちの面倒見がよくなるか?…といえば、必ずしもそうでもない。根本は、やはり「学ぶ側の姿勢」である。教える側が優れていても学ぶこちら側がやわな態勢では、実るものも実らない。私に関していえば、ぼーっとしているうちに長い月日がたってしまった。

 いくつになっても学ぶことは大事だ。このところ、本当にそれが身に染みる。

2017年6月12日 (月)

「いいつたえ」

 信心という言葉があるけれど、それにまつわる代表的な表現が「鰯の頭も信心から」である。正しい意味は、「鰯の頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われること」だという。物事を見る場合の本質を的確についているようにも思える。

 私の場合、信心深いかと問われれば、「そうだ!!」とはいいがたいけれど、ここ何年かは身の回りで仏事がたくさんあった。直接自分がかかわったものもあれば、間接的に携わったものなど内容は様々である。「信心すること」と仏教とは直接結びつくものではないかも知れないが、やはり深い関連性があるように思える。年に2回ある「春のお彼岸」と「秋のお彼岸」にご先祖様の前で合掌すると不遜な私でもなんとも殊勝な気持ちになる。

 

 毎年3月というのは冬から春に移行するデリケートな時期だけれど、今年は結構寒かった。お彼岸の少し前に菩提寺にお墓をきれいにしにいったのだが、容器から枯れていたお花を抜くことができない。凍結していたからだ。やはり、前の年の秋・彼岸が終わったならば、きれいにとり除くべきだったのだ。反省することしきり。秋の彼岸の後、ひと冬の間、ご先祖様に枯れたお花を見せてしまった。

 170612 秋のお彼岸は、お盆がすぎればあっという間にきてしまう。期間の真ん中に「秋分の日」がはさまっているけれど、私の仕事のローテーションは国民の休日とまったくリンクしていない。その関係で、「秋分の日? そういえばそんな日があったな」といった程度の認識である。

 

 一族の菩提寺は、盛岡市内のお寺がたくさんある地域の一角にある。多分どこのお寺もそうだと思うけれど、ここも駐車場から境内に入る時に目に触れるようにお寺の歴史が紹介されている。岩手県内の曹洞宗の総本山みたいな格だと聞いた。何度かその説明を読んで、かなりの歴史を持つお寺であることを理解した。境内にある五百羅漢はとても有名なので、子供の時分に5-6回は見ている。

 私が記憶する限り、祖母(父方の母)がこの菩提寺ととてもご縁が深かった。

時代がかわっても、一族の中で誰か一人きちんとご縁を持ち続ける人が必要と聞いているが、多分、私では力不足だ。誰かを有望な新人(!?) な新人を育成しなければならない。墓前で合掌する時には、ご先祖様に願い事をしてはいけないのだという。この教えは正しそうだ。私も守りたい。

2017年6月 6日 (火)

「天使の歌声」

 昨晩は勢いづいてアルコールがいきすぎた。飲酒運転はしていないが、通勤時に頭の中がもうろうとしている。ラジオをかけると魅力的なソプラノが聞こえてきた。声の主はフランス出身で今業界でもトップクラスの一人N・Oだ。私のごひいきであるモーツッアルトでも数多くの優れた作品を残している。もうろうとした頭に天使の歌声。なかなかのカップリング(!?)である。

 日本で最も有名なソプラノ歌手の一人といえばS・Sである。以前は結構岩手でコンサートを開いていた。そこで何度かライブを堪能した。ベルディの「椿姫」の時だったと記憶しているが、幕間に面白いことをいった。「オペラ歌手はトレーニングで声の強弱は調整できるけれど高低は天性のもの。なおすことはできない。」天賦の才能は、大事にしなければいけない。

 

 オフィスについたところ、情報誌がデスクの上に置いてあった。地元新聞社が主催しているある勉強会のメンバーになっているので、定期的にこちらに送付される。これがなかなかのスグレモノで、様々な分野のビジネス情報が提供されている。文章もこなれているので読みやすい。今週切り抜きにした記事の一つが、化粧品業界の動きである。日本はすでに4人に一人が65歳以上の人で占められる高齢化社会である。介護を受けられるところに入所している方もたくさんいる。化粧品業界は今そこに目をつけている。

 170606 若い世代の人にはわかりにくいけれど、年齢をへるにつれていろいろなことが面倒になってくる。かなり高齢の女性の場合…といえるだろうけれど、お化粧などもその一つである。記事では「化粧療法」という表現を使っているが、某大手化粧品会社が全国の高齢者入所施設で定期的にメーク教室を開いており、なかなか好評であるらしい。認知症対策の一助を担っているとも記されている。

身だしなみには気をつけなければ…という意味では男性とて同じである。化粧品会社には、そちらの分野も開拓していただきたい。

 

 私の場合はまだ現役である。おしゃれに…といわないまでも必要最小限の身だしなみには気を使う。なるべくこざっぱりするよう心掛けているが、センスが突然向上する…というものでもない。オフィスでは、一年の中で数ケ月はネクタイをつける決まりだ。無い知恵を絞り、スーツ、Yシャツ、靴そしてネクタイの4点セットの組み合わせを考える。つまり、センスがないなりに「かたち」だけは整えなければならない。ネクタイはここ数年で半分は選手交代である。気に入った柄から寿命が尽きる。皮肉といえば皮肉である。

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