2017年1月20日 (金)

「死角」

 毎日出勤する途中の無信号の交差点に一ケ所魔(?!) の場所がある。どういうことかといえば、こちらは右折するのだが、その右折方向からくる車のほとんど100%が頭の部分をかなりこちら側車線に乗り出して停車する。必然的にこちらは大袈裟にハンドルを切らなければならない。出勤時だからみんなが忙しい…ということではなく、「心理的にプレッシャーを受けやすい所」と理解した。

 私はへそ曲がりで実証主義である。本当にそんな風な場所かと考え、いつもはこちらが眺めている右折側の方向から逆にこちらに向かって走ってみた。なんのことはない。ごくフツ―の交差点である。つまり、毎朝私が見ている光景は、「アブナイ場所」と思わせる気持ちが呼ぶ現象らしい。

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 話はかわるけれど、「心理的な死角」みたいなことは結構日常生活の中に潜んでいる。例えば、TV等などで何かの映像を見たらずっと昔のことが勝手にフラッシュバックした…みたいなことである。

 先日、自宅でくつろいでいたら画面にアヒルが映し出された。どこかの遊園地らしい。小学生4-5年くらいの時だったろうか、あるお寺に行った時に池で数羽のアヒルが遊んでいた。左手を出して触ろうとしたと時に鋭く反撃された。もし大人の手であったとしてもしばらく手にあざが残るのではないか…みたいなくちばしの力である。私はその時以来アヒルに触れたことがない。TVを見ながらぼんやりとそんなことを思い出した。

 

 よくもわるくも子供の時の思い出は中々強烈である。考えてみれば、大人はながくこの世に命がある限りいろいろなことを経験できる。物事にもよるけれど、多くのことにその経験をいかすことができる。子供の場合には、この世に生を受けてから生きている期間が短いほど経験が浅い。つまり、この世で出会うことのほとんどすべてが「初めての経験」である。それは本人にとってはかなり強烈なものになるというのは、しごく当然のことである。

 

 最近、若い人たちの会話が聞きとりにくくなってきた。主なところは3つ。

①話すスピード (コンピューター音声みたいな) 抑揚のない話し方 ③若者言葉の氾濫といったところか。要するに、自分達が若い時に年上の人達がいっていたのとほぼ同じ現象が身のまわりで起き始めた。聴力は人並みなのですがね。

 ぼやくことは人間の進歩につながらない。時間の浪費になるだけだ。今日は一日一善できるかな? 先人の残した言葉の意味をかみしめよう…。

2017年1月11日 (水)

「Prime time」

 久しぶりに市内の某劇場で上映している「名画シリーズ」をみた。原則2週間替わりだが、1週間で次の映画に移ることもある。今回のお目当ては、米国の大手映画会社ワーナー・ブラザーズが1984年に制作し、日本では1985年2月にリリースされた「アマデウス」である。音楽に関心のない方でも、モーツァルトの名前を一度は聞いたことがあるだろう。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、つまり、「アマデウス」は彼のミドルネームである。

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 「名画シリーズ」の楽しみ方はひとそれぞれだけれど、今回のお楽しみの一つが、ディレクターズカット版だったことだ。諸般の事情により、有名な映画であってもカット版で劇場公開されることも多い。よほどの映画ファンでない限り同じ映画を何度もみるということはないので、そのカット版が脳裏にインプットされることになる。「○○映画はあんな感じだったな…。」

どちらがよいのか素人の私には判断が付きかねるけれど、私が今まで見た限りでは、デひれレクターズカット版の方に軍配が上がる。( 正確には意味が異なるかも知れないけれど、以前、私はフルバージョン版≒ディレクターズカット版というとらえ方をしていた。) 例えば、ほんの数秒あるいは数分の何気ない描写であっても必ず製作者の意図が画面に反映されるからだ。

 今回のディレクターズカット版は85年2月に日本公開されたバージョンよりも20分程度長くなっている。短縮版しかみていない私としては、その追加の描写がなかなか興味深かった。こちらの方がモーツァルトをとりまく人間関係の複雑さがよく理解できるし、経済的な困窮に直面して本人が金策に走り回る場面が付け加えられている。( モーツァルト自身が走り回ったかどうかはともかく、モーツァルト一家が晩年にお金に困っていたことは史実として伝えられている。)

 

 役者さんの資質をとらえる表現に「はまり役」といういいかたがあるけれど、モーツァルトを演じた米国人俳優トム・ハルスの演技はまさに神業である。今の時代にモーツァルトが生きているとしたら、トム・ハルスみたいな感じか…鬼気迫る演技である。そして、それに勝る力量をみせたのが、サリエリを演じたF・マーリー・エイブラハムだ。サリエリはモーツァルト以上に複雑な人物として映画では描かれている。その陰影を完璧に演じ切り、見事、主演男優賞を獲得した。

 おいしい料理を食べた時の感想はただひとこと。「うまい!!」でよい。優れた映画をみた時も同じだ。「これぞ至福の時間だ!! …」

2017年1月10日 (火)

「体は正直」

 健康に関していえばセカンド・オピニオンがはやっているということだけれど、私自身はあまりその発想をしたことがない。ひと医者入魂? そこで風邪等で体調を崩した時なども主治医に見てもらうことになる。

その意味では、最近例外が一つあった。家人の主治医は私とは別だが、そこの血液検査に行くという。たまたま会社で段取りしてくれた健康診断の結果が私の手元に届いていた。家人の主治医とは私も面識がある。結果を持って一緒に行くことにした。家人の診断の後、私が呼ばれた。

ドクター「他の数値はともかく、血糖値が高いですね。ここ数年、上がって

     来ている。」

私   「ちょっと気になっています。」

ドクター「準備はすぐできる。精密検査をしてみますか?

私   「お願いします。」

 私は、この時が生まれて初めての血糖値の精密検査である。クリニックがとても混んでいたので、30分ほど待機ののち検査が始まった。さて、ことの次第は…。

 

 合計4回の採血を行った。

 1回目‐注射器から3本程度管にサンプルを抜いた。鮮紅色の血液を見ながら、これが自分の命を支えてくれている液体なのだなと感じる。( この日は朝食を抜いてクリニックに行った。)

 2回目‐居酒屋さんでよく見るガラスの中ジョッキにブドウ糖(だと思うけれど)が来たので飲み干す。もちろん、アルコールは入っておりません。

     30分ほど体を休めて採血。

 3回目‐2回目の採血から30分ほど体を休めて採血。

 4回目‐最後の採血。3回目の採血から1時間ほど体を休めて行う。

2週間後の週末にドクターから精密検査の結果を聞くことになった。凶と出るか𠮷と出るかはわからない。仮に「凶」と出たとしてもそれはつまり因果報徳である。少し腹構えでもしておこうかな。

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 考えてみれば、平均するとここ数年は年に1回くらい何かしらの検査を受けている。検査マニアではないので、結果的にそうした頻度になっているということだ。どんな検査もそうだけれど、一度経験すると二度目の不安は解消される。要領がわかるのだ。そんなことでベテランになっても救われないけれど …。

«「緋色」