2016年12月 2日 (金)

「人の目」

 某日、クールビズの時期とはいえ、ビジネス用としてはやや派手目な柄のスーツを着て出社した。スーツの数がさほど多い訳ではないので、ローテーション(?)の組み合わせでこうなることもある。

 昼161202 休みの休憩時オフィスに隣接しているスタンドで給油していたところ、男性店員が話しかけてきた。時々利用者を増やすためのキャンペーン等もしているのでその種の話かなと思っていたところ、「なかなかいいスーツですね…。」上着は着ていなかったので、スラックスを見てそう感じたらしい。私はいまだかつて服装で他人から褒められたことがない。他人様からいただいたものだと話したら、不思議そうな顔をしている。でもね、世の中って広いのですよ!! ( ちなみに、内ポケットには元の持ち主のお名前が入っている。ことによらず、資源の有効活用することはよいことだ。)

 

 昔からのいい伝えに「人目を気にする」なるものがある。「他の人がその人をどう見ているのかを(見られている本人が)気にする」ということだけれど、どちらかといえば、私はその点については無頓着な方である。難しい理由はない。

人間が他の誰かを理解するということはそう簡単ではない…という気持ちがあるからだ。そもそも自分でさえ自分をよくわからないのに、他の人格を簡単に理解できるはずがない。それが、基本的な私のスタンスである。

 

 1970年代なかばということなのであしかけ40年くらい前になるけれど、某大手民放で多重人格をテーマにしたドラマを放映した。主演女優Y・Mが人気であったことも手伝って、結構視聴率が高かったような気がする。おぼろげだけれど、ある人格が瞬時にして他のアブナイ人格にいれかわるみたいな場面が度々あった。TVドラマだからいいようなものだけれど、もし、身近に同じようなキャラクターの人(二重人格者、三重人格者)がいるとしたならば、これはかなりの恐怖である。一般的にいえば、人間は、外見ではその人がどのような人間であるかを他の人に示さない。そう思えば、結構、身近な恐怖は身の回りにもあるのかも知れない。ただ、気が付かないだけか?

 

 それにしても、最近は薄気味の悪い犯罪がとても多い。事件を起こす人達が自分のしていることを重大さよくわかっていないのではないか? … みたいな出来事も多い。望むと望まないとにかかわらず、自分が何かしらの事件に巻き込まれないとも限らない。やはり、日々、きちんと生きることが大切なのだ。

2016年11月28日 (月)

「行ったり来たり」

 ある用件があり、老舗のホテルで営業を担当されているY氏とお会いした。家族を含め、いままでにもいろいろとお世話になっている方である。ひとしきり仕事の話が終わった後、彼がそのホテルのオーナーが最近新しくなった旨の話題を私たちに提供した。すでに新聞等で伝えられたのでビジネス情報として

知ってはいたが、いろいろと事情もありそうだ。「(仕事に精勤することにはかわりがないのだから) がんばってくださいね!!」と励ました。

 

 私が生まれ育った街は盛岡の本町というところだが、天皇陛下御用達クラスの由緒あるそのMGホテルは、そこから至近距離にある。つまり、昔からなじみが深かった。私の心の中では、「盛岡の老舗ホテルはここなのだ」という気持ちが今でも強い。

 

 161128 さてY氏とお会いした時期は、たまたまこのMGホテルを利用したり、本町界隈に出没(?) する機会が多かった。「出没」などというとなんだか熊みたいだが、本町の一角にお気に入りのフレンチレストランBがあり、久しぶりに家人と週末に会食をした。店内の雰囲気もとても家族的で、いつも優れた料理を提供していただけるので、我が家の隠れ家になっている。

 どちらかというと私はこうした公の場所でため口をたたくことを潔しとしない。楽しく会食し、サッと風のごとく立ち去る…というのがよろしい。やや、古典的な部類か? ( そう意味では、家人はまったくの「自由人」である。ためらいがまったくない。ヒラヒラ空中を舞う蝶のごとし…である。)

 何にでも例外はある。ワインの勢いも手伝ったか、テーブルでの精算時にひとしきりママと世間話になった。私の記憶に誤りがなければ、このレストランは、私が高校を卒業して東京の大学に進学した以降にこの場所で営業を始められた。どちらかといえば、本町は伝統的な家業を守ってお店を構えている老舗が多い

場所だった。つまり、レストランBは新規参入組だったのだ。

 私の祖父と祖母はこの街の一角で戦前に小さな精肉店を始め、戦後に父が引き継いだ。世の移り変わりは激しい。私が記憶している幼少時の街並みと現在のそれを比較すると本当に変わってしまった。ここでノスタルジーに浸って過去を懐かしむ…という風には、私の精神構造は形成されていない。

 「過去には戻ることはできないが、そこから(いろいろなことを) 学ぶことはできる。」これは最近見た映画に出てきたセリフだ。なぜか心にぴったりきます。

2016年11月24日 (木)

「住人」

 新聞には、案外、生き物に関する記事が掲載される。先日、コゲラの記事を目にした。市内のあるご家庭の庭にあるナナカマドでコゲラが子育てをし、そのひなが巣立った…とある。キツツキの仲間は野山の住人だと思っていたのだが、やはり例外はあるのだ。専門家のコメントが載っている。「 住宅地で巣づくりするのは珍しい。 

 

 161124 野山では出会う機会の多い鳥とそうでない鳥とがある。キツツキの仲間に私はほとんど会ったことがない。5-6年くらい前にあるところとでクマゲラを見たことがあるくらいだ。車からの距離は5m、これが最初だ。しばらく彼らと出会うことはないだろうと思っていたら、つい先日、あるところで見かけた。距離にして15mほどでつがいだった。泣き声がしたので見たところ木に垂直にとまった。それでキツツキだと気が付いた。姿を見せていたのはほんの数秒なので種類まではわからない。体調は30cmをやや下回る感じ。頭の毛が白く、体全体の羽毛には白・黒・灰色の3色が混じっていたような気がする。

 

 この日は「山野の生き物に出会う(運命?)‐Day」であった。どうしたことか、野うさぎに2回、さらに子連れの雌の山鳥並びに子連れの雌のキジに各一回遭遇した。やや説明が難しいけれど、野うさぎにあったうちの一回と子連れの雌の山鳥に会った場面は、実はセットになっている。

 山道をのんびり走っていたところ、左前方10mくらいのところに野うさぎがいた。道路の両側は藪になっているのですぐ逃げられるのだが、好奇心が強い性質(?)だったらしい。車の方に向かって跳ねてきた。3mくらいまできたところで前を横切り右の藪の中に消えていった。付録が付いていて、ほぼ同時に先方15mくらいのところに右の藪から子連れの雌の山鳥が飛び出てきた。車に気が付いて慌てたらしい。先に親鳥が左の藪の中に消えた。残されたひな鳥はおろおろ。2-3秒してから親鳥がいる方向に飛んでいった。

 山野は広い。こうした至近距離で種類の違い生き物が出会うという確率はほとんどないに違いない。ましてや、その場面に私がとおりかかるというのでは、これはもはや珍事というべきか。

 

 岩手県でさえ、あちらこちらで環境破壊の痕跡をみることができる。彼らはそれに抵抗することができない。せめて山野に遊びに行くときは、自分のゴミを持ち帰るくらいの節度は持ちたいものだ。

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