2017年10月16日 (月)

「ノスタルジー」

 若い人たちの音楽には疎遠になってしまったので、今にいたっては、そちらの業界のことはわからない。そうではあってもポップ系のミュージックに関しては、1950年代から60年代にかけて流行っていた音楽がルーツになっているような感じがする。音楽の多様性についていえば、今よりも当時の方に軍配が上がる。

 

 Photo いろいろなことが思い出される。1960年代を代表する米国の男性二人組デュオ」といえば、筆頭はサイモンとガーファンクルである。音楽番組の人気投票で上位にのぼった曲がたくさんあるので、どれを代表曲といってよいものかわからないくらいだ。私は彼らを特に好きなファンという訳ではなかった。当時はあまり気にとめなかったけれど今聞いてみるといいなと思う曲の一つが「アメリカ」である。米国では1968年4月に発売されたアルバムの中に収録されていたらしい。リリースから足掛け50年くらいは月日が過ぎ去っている勘定である。一言でいうと「抒情的なイメージ」の強い曲である。

 ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」は、1967年3月に日本ではリリースされた。発売当時はややユニークな題名でかつメロディアスな感じがしなかった曲…という印象が強いが、それはまさに不明というものでる。まごうことなき名曲である。

 当時、リバプールの郊外に「ストロベリー・フィールド」という戦争孤児が入所している施設があり、歌の題名が酷似している。ジョン・レノンは、「歌と実際の孤児院には関連はない。歌の「ストロベリー・フィールズ」はまったくの架空の場所だ。」といった旨の発言を雑誌のインタビューでしている。 

 余談になるけれど、当時はまだレコードの時代だった。営業面を考えれば当然ながらレコードに売れてもらわなければいけない。そこで、シングル盤ではA面にはあたりそうな曲/B面にはやや地味な曲という組み合わせが「お約束」だった。「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」のシングル盤は私も買ったけれど、A面は「ペニー・レイン」だ…と長い間記憶していた。今、インターネットで見ると「両面A扱い」ということになっている。

 

 サイモンとガーファンクルもビートルズもミュージックシーンに偉大なる功績を残したけれど、今は解散して存在しない。解散時にお金の問題がからんでいたと伝えているメディアもある。スターであってもやはりヒトの子なのだ。凡人と同じようなことで悩むしモメるのだという意味では、案外身近な存在だ。

2017年9月26日 (火)

170926「にょろにょろ&くねくね」

  以前、会社の同僚ににょろにょろ&くねくねしたものが大の苦手という男性がいた。その種のもの (生き物とは限らない) を見ると卒倒しそうになるらしい。

フロイド説に従えば、幼少時に何かトラウマを持つ経験をした? 

 にょろにょろ&くねくねということになるとすぐ思い浮かべるのはミミズと蛇である。彼らには野山に行けば結構出会う。それなのに、彼の趣味は山登りだという。ちょっと矛盾があるような気がするけれど、登山の時だけはOKということか

 

 つい先だって所用で県北のJ町とN市に遠征した。結構交通量の多い道路であったけれど、とあるところで左から右に移動中の蛇に遭遇した。幸い後続車がなかったので車をとめ見送った。シマヘビだと思ったが、よく見たらアオダイショウである ( シマヘビとアオダイショウを見間違えるなんて、私はドシロートもいいところだ)

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 記憶に間違いがなければ、子供の頃はもっとアオダイショウの数が多かった。祖母は「人家の近くによくいる蛇だ」といっていた。人家の近く⇔ その家の守り神 … ということだったが、「生き物をいじめてはいけない」という教えの寓話のようにも思える。日本の昔話にはよく蛇のエピソードが出てくる。つまり古来人間の世界に近い所に存在していた生き物だったのだ。昔話の中では蛇の種類は特定されていないけれど、マムシでは具合が悪い。やはり、やや 神秘性(?) が感じられるアオダイショウがよさそうだ。

 

 秋も本格的になってきた頃、郊外に遊びに出た。枯れ草が積み重なっているところでちょっと足でイタズラしたところ、ヤマカガシの幼体が姿を現した。

さすがに人目に長く触れるほどのんびりはしていないので、すぐに枯葉の隙間に姿を消した。3-4mくらい連なっている積山で3匹ほど見たということは、もしかして彼らの棲み処だったのかも知れない。おじゃまいたしました。

 季節の話ということになると、ここ数年、冬の天候が安定しない。人間社会と異なって自然界に生きる生物たちはモロにその影響を受ける。例えば、雪の多い冬になるとすれば、冬眠をする生き物たちはその鋭い本能でそれを察知するものだろか? 少しでも危険を避けられるところを選ぶ云々、冬を乗り越える知恵がないと種の保存が危うくなるに違いない。

 今年も頻繁に大規模な伐採を見た。そうなると彼らの生活環境は激変である。我らより彼らの方が必死なのかも知れない。

2017年9月18日 (月)

「放心」

 国際大会も増えたので、プロ野球を含む野球の世界は一年中忙しくなった。TV放映のない期間というのは、年に2-3カ月くらいのものではないだろうか? 多種多様なスポーツの時代になったので、野球ファンにはこたえられない時代である。私に関していえば、感受性が豊かなりし時代にプロ野球と学生野球が黄金期であった。多分、それが理由で今でも野球ファンである。

 

 プロ野球はひとことで言えば、「野球エリートの集まり」である。私のように単純なファンであってもその程度のことは理解できる。「エリートの集まり」であるので選手たちは高い技術を持っているし、その切磋琢磨する姿がファンを喜ばせる。「打って投げて走るボール競技」であるので、当然、格闘技的要素を含む。時々、TVでは「乱闘シーン特集」等を流している。私はその種の番組を楽しむ気分にはなれない。やはり本筋は「プロ野球らしい気迫とプレーでファンを興奮させてくれること」だと思う。ややマジメすぎか?

 昨日は、CMのない某TV局の衛星放送でひいきの横浜B.チームの試合を流した。相手は球界の盟主と目され、プロ球界で一番の人気球団()読売G.ある。双方にホームランが飛び交い派手な試合展開となった。この日の実況中継を担当したアナウンサーは中々「手練れ」の気配があり、それが試合をより面白く聞かせてくれた。解説者と二人三脚で2時間以上の試合を中継するためには、普段から舞台裏でものすごい量の情報を下調べしなければいけない。上手なアナウンサーは、野球以外にもいろいろな話を盛り込む。結果的にそれが野球の面白さを倍増させる。

 170918 双方にホームランが飛び交った…ということは、つまりピッチャー受難(?!)の日であった。横浜の方がホームラン数が多く、結果的にそれが勝敗を左右した。

TVの映像は、その時の選手の表情を実に冷酷に映し出す。痛打を食らった側のピッチャーは、まさに「放心状態」である。勝負の世界では、言い訳は一切許されない。「打たれた」という事実が残るのみだ。だから、プロ⇔ビジネスの野球なのだ。

 

 直球は昔から「ストレート」あるいは「まっすぐ」と呼んでいた。「ドロップ」という表現はいつしか消えてしまった。「(落差の大きい) 落ちるカーブ」という理解だったような気がする。変化球の呼び方はとても増えたので、私の頭では多すぎて覚えきれない。メジャーリーグの情報が増えたことと何か関連はあるのだろうか? きちんと理解すれば、今まで以上に野球が面白くなりそうだ。

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