2017年4月24日 (月)

「自然」

 ノストラダムスの大予言は全然当たらなかったけれど、それよりもはるかに身近にあるのが、毎年日本のどこかで起きている天変地異だ。ノストラダムスよりもはるかに現実的だし、そのパワーのすごさに圧倒される。今年も全国あちらこちらで災害は起きたが、残念なことに故郷・岩手県もその仲間に入ってしまった。

 

 いろいろなメディアが発達したので、今はいろいろなニュースがリアルタイムで見聞きできる。1日まったくTVもラジオもスマホにもノータッチ  いろいろな情報から遮断されているという人は、多分、少数派に違いない。つまり、赤ん坊まで含めれば老若男女1億2千万人のほとんどの日本人が情報敏感民族になってしまった。そうなると、有象無象にある情報の取拾選択が難しくなる。そこで、情報に対して見極めを行う免疫が必要になってくる。私に関していえば、そうした判断力に自信があるか? … と問われれば、「そうだ!!」とは答えにくい。

 

 2011年3月11日(金曜日) に発生した東日本大震災はいろいろな教訓を私たちに残したけれど、その一つが「世の中に絶対に安全なもの(こと) はない」という教えである。平たくいえば、「世の中で起きていることは、いついかなる時に自分の身に起きても不思議ではない」という意味でもある。

 渓流釣りをしているといろいろな雑念が浮かんでは消える。先日手を切るような冷たい清流を眺めながら遊んでいた時に、関東地方で起きた出来事を思い出した。かなり以前になるが、渓流の中州でキャンプをしていた人たちが上流地域で起きた集中豪雨の濁流に巻き込まれ尊い命が奪われた事件である。TVで映し出された画像はとてもショッキングで言葉を失った。

 170424 規模は全く違うけれど、実は私も疑似体験をしている。30歳代の時にある渓流で川に立ちこんで釣り糸をたれていたところ、徐々に足元の水かさが増しはじめた。いつもと感じが違う。こういう時は、自分の長年の「勘」を信じるに限る。岸に戻り様子を見ていたところ、あっという間に渡河できない状態になった。川幅の広い河川だったので、あと数分判断が遅れればかなり危険な状態に陥っていたかも知れない。

 その夜のTVニュースを見て、私が遊んでいた上流地域で集中豪雨があったと知った。長い間渓流釣りに親しんでいれば、こういうタフな経験も時にはする。遊ぶことひとつでも生きていくための教訓を得ることはできる。

2017年4月17日 (月)

「変化球」

 平凡な日常生活にも変化が必要  という訳ではないけれど、このところ朝食に登場する機会が増えたのが「お粥」である。種類は白粥、卵粥、梅粥そして海鮮粥といったところか。経済性を考えれば炊飯器のご飯を活用してつくるのがよい  となるが、十八穀米を食べている関係でお粥にはしにくい。そこで市販のレトルト粥が登場という次第となる。

 お粥には思い出がある。私は人並みに健康な子供であったが、数年に一度、風邪その他の理由で寝込むことがあった。そうするとお袋が白粥をつくってくれるのだ。体力が落ちている時の白粥は、地獄に仏みたいなありがたさである。かくしていつしかお粥  お袋の味という側面を持つにいたった。

 長じて社会人になってから何度か関西地方に出張した。ある著名なホテルに泊まった時のこと。朝食時に「ご飯になさいますか? お粥になさいますか?」と聞かれた。前述のように、当時の我が家では「お粥は体調がすぐれない時に食すもの」という先入観があったので想定外の質問である。しかし、そのお粥の味はなかなかのものであった。その後知ったことだけれども、関西地方では「お粥文化」が東北地方よりも社会に浸透しているらしかった。それで「関西の味  お粥」と勝手に決めて、そちらの方面に出張した時はできるだけ「お粥」を食べるようにした。

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 さて、昨晩は外食になった。案の定、食事の量が多くなった。こうした時は、翌日のご飯は軽めがセオリーである。結局、今日の朝食は海鮮粥 + 薄味のたくあん + カットトマトの3点セットというとてもシンプルな組み合わせで済ませた。当然ながら、オフィスでの昼食時までにはお腹がすくに違いない。空腹になるのもたまにはよい。3食きちんと食事ができることのありがたさが身に染みてわかる。何でもそうだけれど、「飽食状態」が一番よろしくない。そうでなくとも、今の社会には堕落必要条件はたくさん揃っている。( と私には思えてしまう。)

 

 「お粥」の親せきだと勝手に思っているのが「雑炊」である。「お粥」は特に季節感はかかわっていないような気もするが、「雑炊」となると俄然「寒い季節の食べ物」みたいなニュアンスが強くなる。「トリ雑炊」、「カニ雑炊」、「フグ雑炊」etc.  ただし、「ブタ雑炊」とか「ギュウ雑炊」は聞いたことがない。性質上、食味に合わないのだろうか? 世の中は広い。知っている方がいたら教えて下さい。

2017年4月15日 (土)

「幻の本」

 本屋さんに行くと必ず立ち寄るコーナーの一つが、辞典や辞書のコーナーである。特別な理由がある訳ではなく、書店の中の「オアシス」みたいな位置づけである。詳しく見ている訳ではないので勘みたいなものになるが、内容の見直しが以前よりもゆっくりなったような気がする。意地悪な見方をすれば、これだけ動きの長い世の中に悠長に構えている…ともいえる。

 さて、私は長年大手出版社K社で出しているLという英和/和英辞典の隠れ(!?) ファンである。記憶する限り、英和の方は最新版が出てから3年くらい経過しているし、和英にいたっては7-8年くらいたつのではないだろうか。若者の活字離れがさかんに叫ばれるようになって、かなりの年月がたつ。このご時世では、改定を加えても(売れる部数が限られるので)営業的に採算がとれなくなっているという事情などもあるのかも知れない。この推測が仮に的外れではないとしたら、何かさみしいものがある。多機能辞書は使っているけれど、やはり「何かを調べる」ということであれば、原点は「辞典」にさかのぼる。

 

 辞書や事典が役立つのは必ずしも学校の勉強だけではない…という理解でいえば、忘れられない「事典」が一つある。小学校高学年の記憶なので1960年代前半くらいか。釣り好きだった父がある時本を買ってきた。正確な名前を覚えていない。「魚釣り大全」だったかも知れない。紙の大きさはA-5くらいで厚さが14-15cmくらい、日本にすんでいる淡水魚をすべて網羅した魚に関する集大成みたいな辞典である。名前、分類、体長、せいそくしている地域etc. が載っているのだが、同じ魚でも日本全国で見られる種類の場合には実に多くの呼び方があることをこの本で知った。確かモノクロの写真で現物の魚が掲載されていた。父は我が家の家宝みたいにこの本を大切にしていた。当時この本では読んだものの関東や関西にしかいない魚もいた。放流事業が盛んに行われるようになった1960年代後半以降になると、東北地方や岩手県でもその姿が見られるようになった。「魚釣り大全」は、ぜひ復刻版を期待したい一冊だ。

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 このところすっかり「悪役」の座についたブラックバスだけれど、ブルーギルだってすでにこの本には載っていた。つまり、「悪役」達が日本で活躍(?) するようになってから、結構月日は流れているのだ。彼らは望んで日本にきたわけではないのに、いつしか××印を押されてしまった。動物園のライオンと同じで、今日、彼らの母国は「日本」である。もしかして思っているのかも知れない。「たまには俺たちの話もきいてくれよ!!

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